釧路の郵便史をたどる「釧路の郵便150年」

釧路の郵便史をたどる「釧路の郵便150年」

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釧路中央郵便局の前身である釧路郵便役所の設置から150年を記念して、釧路市立博物館にて企画展「釧路の郵便150年」が開催されました。今回は、企画から展示品の収集に至るまで尽力してきた皆さんに「釧路の郵便150年」に込めた想いを伺いました。

※企画展は終了しました。

前川 英樹(まえかわ ひでき)さん

釧路桜ヶ岡郵便局長

前川 英樹(まえかわ ひでき)さん

松山 伸吾(まつやま しんご)さん

昆布森郵便局長

松山 伸吾(まつやま しんご)さん

石川 孝織(いしかわ たかおり)さん

釧路市立博物館 学芸主幹(産業・地質学)

石川 孝織(いしかわ たかおり)さん

釧路の発展とともにあった郵便の歴史を後世に伝えたい

――まずは、企画展「釧路の郵便150年」を開催した背景を教えてください。

前川:きっかけは、郵政創業150年を迎えた2021年に、以前から交流があった釧路市立博物館の石川さんから「釧路の郵便にもすごい歴史がありますよ!」と企画展のご提案を受けたことです。そこから3年かけて準備をして、開催に至りました。

前川 英樹(まえかわ ひでき)さん

――長い時間をかけて準備されたのですね。

前川:はい。企画展の展示品は、釧路地域の郵便局の局長やOBをはじめ、郵政博物館にも協力いただいたり、石川さんのネットワークも活用させていただいたりして集めました。

――改めて企画展のテーマや狙いについて教えてください。

前川:一番の目的は、後世に釧路の郵便の歴史を伝えることです。お客さまには当時の思い出を懐かしんでいただくとともに、郵便局の歩みを知っていただきたいという狙いがありました。そして、われわれ社員は、郵便の文化を学び直して、郵便局のネットワークがどのような価値を地域に提供できるのかを考える機会にしたいと思いました。

オープニングセレモニー
2024年11月30日に行われた初日のオープニングセレモニーでは、テープカットが行われた

前川:企画展に展示している当時の新聞には、ポスト一つ、郵便局一局が地域の皆さまの悲願でつくられた背景が掲載されていて、郵便局が釧路の歴史や文化の発展にどれだけ重要だったのかを再認識しました。

見どころ盛りだくさん! 企画展の貴重な品々を紹介

ここからは、150年の歴史を振り返る展示を厳選してご紹介します。

局舎の写真
北海道における開拓地の暮らしを支えてきた郵便局の数々。鉄道が開通し郵便物が運ばれるようになると、開業した駅の近くに郵便局が置かれた
釧路地域に現存する郵便局の消印と風景入通信日付印
釧路地域に現存する郵便局の消印と風景入通信日付印(以下、風景印)。石川さんがご自身で巡って、局舎の外観写真とともに収集されたもの(2024年9月現在)
1888年から1907年までの制服(左)と1972年から1988年までの制服(中央、右)
1888年から1907年までの制服(左)と1972年から1988年までの制服(中央、右)。雪深い冬の時期、配達員はゴーグルや手袋などを装着し、スキーを履いて郵便物を配達していた
局舎の名が刻まれた看板などのほか、形状の変遷がわかる郵便ポストのミニチュアも展示。"
局舎の名が刻まれた看板などのほか、形状の変遷がわかる郵便ポストのミニチュアも展示。看板の多くが民営化を機に廃棄されたが、奇跡的に保管されていたもの
戦前から使われていた鉄製の丸型ポスト(弟子屈町ふるさと歴史館収蔵)
戦前から使われていた鉄製の丸型ポスト(弟子屈町ふるさと歴史館収蔵)。戦時中、多くの鉄製ポストは回収され軍事兵器に姿を変えた

150年の歴史を振り返るなかで外せない人物がいます。アイヌ民族の吉良 平治郎(きら へいじろう)です。

松山:平治郎は、現在の釧路に生まれたアイヌ民族の郵便逓送(ていそう)人です。逓送とは、郵便局から郵便局へ、お客さまから預かった郵便物を運ぶ仕事のことです。

「アイヌ逓送人・吉良 平治郎」の展示。かつて平治郎が郵便物を携え目指した昆布森郵便局の現在の局長である松山さん
「アイヌ逓送人・吉良 平治郎」の展示。かつて平治郎が郵便物を携え目指した昆布森郵便局の現在の局長である松山さん

――平治郎は偉人として地元の人たちに愛される存在と伺いました。そのストーリーを教えてください。

松山:平治郎はとてもまじめで責任感の強い人だったと聞いています。釧路郵便局に採用されてわずか3日後のことでした。彼は16㎞離れた昆布森郵便局を目指して、17㎏もある郵便物を担ぎ、夜中に出発しました。途中、大吹雪で視界が悪くなる状況下でも歩を進めたのですが、昆布森郵便局まであと数㎞というところで雪に埋もれ、力尽きてしまったのです。捜索隊に発見された平治郎の遺体は、担いでいたはずの郵便物から200mほど離れた場所で見つかります。平治郎は、自分が着ていたマントで郵便物を包んでから雪のなかに埋め、郵便物の安全を確保したうえで、その先にある集落に向かっていたようです。埋めた郵便物の場所には目印になるように、杖代わりにしていた竹の棒に手ぬぐいを巻いて雪の上に立てていました。

――過酷な状況のなかでも、平治郎は自分の職務を全うしようとしたのですね。

松山:はい。その責任感あふれる行動は、後に「責任」という題で教科書に掲載されました。

子どもたちの教育のため実際に使われていた紙芝居「責任」(吉良 平次郎の物語)(郵政博物館収蔵)
子どもたちの教育のため実際に使われていた紙芝居「責任」(吉良 平次郎の物語)(郵政博物館収蔵)。史実がわかりやすく紹介されている

この企画展の立役者の一人である学芸員の石川さんには、郵便局に対する深い想いがあるそうです。

石川:釧路地域の郵便局は、どこよりも細かく、地域に深く根ざしていると感じます。釧路の魅力発信であったり、交流の場であったり、そして暮らしを支える基盤であったりと、さまざまな面で頼れる存在です。私たち釧路市立博物館も"地域のために生きている"という部分では共通ですから、また何かいっしょにできるといいなと思います。

石川 孝織(いしかわ たかおり)さん

釧路地域で最初に開局した釧路中央郵便局で局長を務める笠島さんにもお話を伺いました。

笠島 英之(かさじま ひでゆき)さん

釧路中央郵便局長

笠島 英之(かさじま ひでゆき)さん


――釧路中央郵便局の前身である釧路郵便役所設置から150年を迎えた今、日本郵便の一員としての心境をお聞かせください。


笠島:1871年に新式郵便が創業してからわずか3年後。1874年12月に釧路郵便役所が北海道東部に設置されたことに、郵便の重要性を改めて感じています。駅、学校、郵便局が開拓地の中心的存在であった時代から今日まで、地域の暮らしのなかには郵便局があります。人生のさまざまなイベントで郵便局が暮らしのサポートを行い、お客さまから必要とされていたことを実感しました。


――開局150年という節目を迎え、地域の皆さまにどのようなことを伝えたいですか。


笠島:この150年間変わらずに行ってきた「想いを届ける郵便」や「基本的な金融サービス」を確実に提供するのはもちろん、これからも新たなサービスを提供できるよう努めていきます。

次の節目に向けて、郵便局の価値をバトンタッチ

――これからの取り組みやビジョンがあれば、ぜひ教えてください。

前川:郵便局の「郵」という文字には「つなぐ」という意味があります。局長になって20年、私は数多くの地域の方々と「この町をもっとよくしたい」と活動してきました。これからも、未来に伝えられる「郵便局の価値」を発掘して記録し、開局200年を振り返る盛大な式典が50年後にできるよう、その価値を未来にバトンタッチしていきたいと思います。150年前から手紙文化が釧路地域を元気にしてきた歴史を継承し、未来がもっとワクワクする活動を展開していきますので、皆さま、楽しみにしていてください。

対談中の写真

――最後になりますが、この先、郵便局としてどのように地域に貢献していきたいですか。

前川:想いは一つで、町の発展です。釧路もご多分にもれず過疎化・高齢化が進んでいます。地域に人が住み、生活があって郵便局があるわけですから、郵便局の取り組みの先に、町の歴史や文化を記録して語り継いでいくのも未来につなげる一つの道だと考えています。

お三方の写真
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