エモい郵便局図鑑 No.10 山形七日町二郵便局(山形県)
1871年、「日本近代郵便の父」と呼ばれる前島 密(まえじま ひそか)によって郵便事業は開始されました。それから時は流れて150年以上経った現代、日本各地には激動の時代を見守ってきた郵便局が今でも残っています。ある人はそんな歴史ある郵便局を、畏敬の念をこめて「エモい郵便局」と言うんだとか――。
郵便局のノスタルジックな魅力に取りつかれたフォトグラファー・ライターが日本各地を訪れて紹介する「エモい郵便局図鑑」。今回の舞台は、山形県にある山形七日町二(やまがたなぬかまちに)郵便局です。
山形市中心部、官公庁や銀行などを含む繁華街として明治初期から栄えた地域に位置する。
(山形県山形市七日町2-7-20)
■開局
1938年(当時の山形七日町郵便局)
■概要
1972年に現在地へ移転。1973年に山形七日町二郵便局に改称。
建物は今年で100年を迎え、「大正ロマン漂う郵便局」として多くの方々から親しまれている。
■歴史
1925年に建てられた建物は、山形においては鉄筋コンクリート造りの草分けともいわれている。1階で「丁子屋」という洋品店を営み、2階はダンスホールやビリヤード場として人々に娯楽を提供してきたが、1972年に近隣への百貨店の進出を機に廃業、郵便局になった。
■名物
素材を活かした落ち着いた色彩と、モダンな造りの建物は大正ロマンを感じさせる。中心商店街の良好な景観づくりに貢献しているとして「山形市まちなみデザイン賞」を受賞し、地域のシンボル的な郵便局になっている。
■交通アクセス
JR山形駅より山形市役所方面行きのバスで約10分、「山形市役所前」停留所より徒歩約3分
山形駅から車で約10分。雑多な街並みに溶け込みながらも、ひときわ重厚な存在感を放つ建物がある。山形七日町二郵便局だ。
風格あるその佇まいに、思わず足を止める人も少なくない。それもそのはず、この建物は100年の歴史を誇っている。
建築されたのは1925年。ここでは古くから雑貨屋などの商店が営まれていたが、1925年に洋品店へと業態転換がなされ、そのタイミングで現在の建物が建てられた。
建設当時の姿をしのばせる一葉のはがきが残っている。洋品店創業者が、新店舗落成記念としてお得意さまに送った100年前の年賀状だ。
繁華街の一画に位置しており、戦後も長らく営業が続いていたが転機が訪れる。1972年、現在の山形七日町ワシントンホテル(当時は杉山旅館)の1階にあった郵便局が都合により移転することになり、その移転先として現在の場所が選ばれたのだ。
局長を務める丹野 洋一(たんの よういち)さんはこう語る。
「当時は、周辺に百貨店が次々と出店した時期。西隣に百貨店ができるということになり、街の洋品店では太刀打ちできないだろうと、郵便局を誘致することになったそうです」
そんな深い歴史を持つ山形七日町二郵便局。建物は、和風とモダンが融合した大正ロマンを感じさせ、落ち着いた色彩が特徴だ。中心商店街の良好な景観づくりへの貢献が評価され、1998年には「山形市まちなみデザイン賞」を受賞している。
この建物は関東大震災(1923年)の2年後に建てられ、当時の教訓を踏まえて耐震性を重視した設計がなされているとのこと。窓の数が少ないのも、構造の強化を図るための工夫なのだとか。
建物に使われている部材は、ほぼ建設当時のまま。1995年に街路整備事業が行われた際も、建物の破損部分の補修や建物の洗浄がメインで、古い部材がそのまま保存されている。
郵便局がある七日町(なぬかまち)は、山形市を代表する繁華街の一つ。かつては郵便局の近隣に7軒の映画館があったそうだ。その中心にあったのは「旭座」という、戦前から営業していた芝居小屋・映画館で、商店会の名称「旭銀座のれん会」の由来にもなっている。
山形大学附属博物館蔵 出典:山形大学附属博物館制作山形アーカイブより転載(部分)(左)
さらに街路整備事業の際には、映画の街として、郵便局などが立ち並ぶ通りの名称を「旭銀座シネマ通り」に制定。現在は「シネマ通り」として多くの方々から親しまれている。
(右)1990年代初頭、アーケードがあったころの山形七日町二郵便局 山形県郷土館「文翔館」所蔵
そんな七日町にも変化が訪れている。郊外に大型のショッピングモールが出店したことで、商店街から百貨店が撤退。映画館も、今では1軒もなくなってしまった。
ところどころで再開発が進み新しく生まれ変わろうとしている七日町だが、今こそ、街のシンボルとして愛されてきた山形七日町二郵便局の建物を大切にし、多くのお客さまから親しまれる郵便局にしていきたいと丹野さんは話す。
※一般公開しておりません
「まわりの建物がどんどん建て替えられていくなかで、この建物だけは残してほしいという地元の方からの声をよく聞きます。町外の方からも、建て替えないでというお手紙をいただくこともあります。やはり、そういう言葉をいただくと、なんとかこの建物を維持していかなくては、と思うんです」(丹野さん)
七日町の100年の歴史を見つめてきた建物。時代が変わっても、街の歴史を伝える「証人」として地元の人々に支えられながら、これからも山形七日町二郵便局は残り続けていくのであろう。
丹野さんの力強い言葉を聞くと、そのような希望を抱かずにはいられなかった。
津々浦々からのフォト便り 連載記事一覧はこちら






