トルコ・シリア大地震の被災地へ。医療チームの活動と生活を支える国際緊急援助隊のロジスティシャンとしてミッションに挑む

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海外で大規模な災害が発生した際、相手国の要請により派遣され、日本を代表してさまざまな救援活動に取り組む国際緊急援助隊(Japan Disaster Relief Team、以下、JDR)。
今回、お話を伺ったのは、そのJDRのなかでも医療チームの一員として、2023年2月6日に発生したトルコ・シリア大地震に派遣された、日本郵政株式会社 病院管理部 マネジャーの宗石 勘九郎(むねいし かんくろう)さん。日本郵政グループとしてはじめてとなる、JDRの派遣要請に基づく社員の派遣は、どのような経緯から実現に至ったのか。現地での活動状況や、今回の派遣を通じて得た教訓などを交えながら、お話しいただきました。

日本郵政株式会社 病院管理部 マネジャー
宗石 勘九郎(むねいし かんくろう)さん
大学卒業後、2年間の営業職を経て、高知県の病院で事務職を経験。在職中、DMAT(※)の一員として東日本大震災の被災地に派遣される。2011年、日本郵政株式会社に入社、東京逓信病院会計課に配属。2013年5月より本社 病院管理部に異動し、現在は病院と本社を兼務。
※災害派遣医療チーム:Disaster Medical Assistance Team(以下、DMAT)。国内で発生した災害を支援する。
人道支援に向けた熱意に会社が応えてくれた
前職の病院に勤務していた当時から、事務職という立場からも積極的に医療にかかわることができる救急・災害部門に、特に力を注いでいた宗石さん。DMATのメンバー資格を取得後、2011年に発生した東日本大震災では福島空港や石巻での救援活動にも参加しました。
「震災後の10月に入職した東京逓信病院は、DMATの指定医療機関ではなかったことから、災害医療に直接かかわることが難しくなってしまいました。しかし、これまでのように人道支援活動をしたいという強い想いがあったため、自分にできることがないか、いろいろな方に相談しました。そのとき教えていただいたのがJDRで、上司の理解も得られたため、研修に参加して隊員登録に至りました」(宗石さん)

ただし、JDRは個人の登録ではあるものの、メンバーとして実際に海外派遣されるためには勤務先との覚書の締結が必要となります。そこで2015年、日本郵政株式会社とJICA、宗石さんとの間で「国際緊急援助嘱託の委嘱等に関する覚書」が締結されることになりました。トルコ・シリア大地震は、覚書の締結後、宗石さんがはじめてJDRに参加する機会となりましたが、要請を受けたときはどんな気持ちだったのでしょうか。
「海外派遣が決まると、その派遣期間中、私は会社には出勤せず、海外で勤務することになります。そのための各種申請や業務の引き継ぎなど、はじめてのことで多少手探りの状況はありましたが、まわりの皆さんのサポートのおかげで一つ一つ整理していくことができました。
一方で私の気持ちはというと、はじめての海外派遣で自分はどんな貢献ができるのか。それを考えると若干の高揚感はあったものの、不安がほとんどだったのを覚えています。私の場合、災害発生直後に人員募集がはじまったJDRの一次隊への参加は、調整が間に合わなかったことから応募を見送り、二次隊の募集から応募したところ、三次隊への参加が決まりました。そのため、一次隊や二次隊から事前にいろいろな情報を聞けたり、準備期間もあったりしたので、不安があったなかでもなんとかやっていけました」(宗石さん)

医療活動を陰で支える屋台骨、それが「ロジスティシャン」
JDRの派遣先となったのは、トルコ南東部、シリアとの国境にも近いガジアンテップ県オーゼリ郡。地震発生からおよそ1カ月後の現地の様子は、都市機能はある程度保たれていたものの、地域唯一の国立病院で建物の安全性に問題があったことから、別の場所に避難して医療活動が行われている状態だったそうです。
「私たちJDRの医療チームは、臨時病院の隣で診療サイト(テントなどを利用した診療スペース)を設営していました。三次隊が到着したときには、手術などの緊急性の高い治療が必要な方はあまりいなかったものの、震災による被災者が周辺地域から避難してきたことから、地域の人口が急激に増加し、日常的な医療のリソースが不足する事態に陥っているとのことでした」(宗石さん)

現地に到着後、非常に慌ただしいなかで二次隊からの引き継ぎが行われたそうですが、医療チームの「ロジスティシャン(医療調整員)」として派遣された宗石さんは、実際にどういった活動をしていたのでしょうか。
「ルーティン的な日々の業務としては、空気を入れると立ち上がるテントが20棟ほど、総面積にして1,000㎡ぐらいの広さで展開されているので、そのすべての空気圧調整や30台ほどある発電機への給油など。突発的な業務としては、テントの外で待っている患者さんのために日除けを設営したりもしました。ほかにも、チームメンバーが食べる携帯食に必要なお湯を朝晩と大量に沸かしたり、循環型シャワーのフィルターを交換したり、簡単に言ってしまうと医療チームが行う活動のうち、医療行為以外の多くがロジスティシャンの業務となります。
当初、私の主担当は廃棄物処理だったのですが、ごみ回収などは現地スタッフが協力してくださったので、おおむねスムーズに現地で処分することができました。文化も環境も異なるなかで通訳の方を含め、現地の皆さんがとても親切で協力的で、本当にありがたかったと思っています」(宗石さん)


困難なミッションを通じて痛感した「休憩をとること」の大切さ
今回の派遣において、三次隊に課せられた重要なミッションが撤収作業。70名程度で構成された一次隊が現地に搬入した約30tの資機材を、40名程度に縮小された三次隊で撤収するにあたっては、事前の準備が欠かせなかったそうです。

「撤収ミッションに関しては、チーム全員が展開訓練でその大変さを体験していましたし、三次隊の人数が少なかったことや、撤収予定日の天気が悪くなる予報だったこともあって、チーム全員が危機感を持っていました。
その結果、日常の業務をこなしながらも、収納用の箱がある場所を確認したり、テントのペグを回収しやすいようあらかじめ調整したり、使わない発電機を片付けたりと、早い段階から下準備を進めました。おかげで、撤収ミッションは想定以上にスムーズに完了させることができました」(宗石さん)

撤収ミッションを含め、三次隊による医療支援活動は無事に成功をおさめましたが、宗石さんがそのポイントとして挙げたのは「積極的な情報共有」でした。
「三次隊にはロジスティシャンが6名参加していましたが、基本的にいっしょに食事をして、その時間で情報共有を図りながら、自分ができることが何なのか、できないことは何なのかなどを積極的に共有することを心がけていました」(宗石さん)
そして、とても大切なこととして挙げたのが「休憩」です。
「1日の活動時間が長時間におよび、時間に追われながら作業をしていると、慣れない環境での緊張感もあってイライラしやすくなりがちでした。それを解消するためには、きちんと休んで気分転換することはとても重要だと実感しました。一次隊や二次隊の方からのアドバイスも"休憩をとること"、"やらなくていいことは無理してやらないこと"。しっかり休憩をとるためにも、ものごとに優先順位をつけて取捨選択していくことが大切だと痛感しました。
また、環境や文化が異なる国・地域で支援活動する場合、日本の常識は通用しない場合があることも、教訓として改めて胸に刻まなくてはと思いました」(宗石さん)

そして、宗石さんは最後にこう締めくくりました。
「いちばんの願いは、これから世界中で災害が起こらず、JDRの支援が必要とされないことです。ただ、万が一、JDRの支援が必要な事態が起き派遣されることになったら、私は今後もその活動に貢献していきたいです。
今回に関しては、日本郵政グループとしてはじめての派遣事例ということで、会社のさまざまな方が調整に力を尽くしてくださったおかげで、JDRの派遣要請に応えられたわけですが、今回の事例をきっかけに、これから私と同じような活動をしたいという方が社内で現れたとき、よりスムーズにチャレンジしやすい環境が整っていってくれればうれしいです」(宗石さん)

※撮影時のみマスクを外しています。
※写真・動画提供:JICA

