東日本大震災を経て歩む未来 あのとき私たちは何をし、何を考えたのか

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災害時だからこそ届け続けた、人々の気持ちをつなぐ郵便
東日本大震災の発生から、間もなく11年を迎えます。日本郵政グループでは、当社グループが震災発生後から、どのように取り組んできたのかを、はじめて動画としてまとめ、公開しました。
震災の記憶を風化させず、未来へつなぎ、復興や災害に強い地域作りを目指し、現在歩んでいますが、その礎は当時、被災しながらも地域の復旧に尽力した社員の思いや信念にあると言えます。動画にも出演している日本郵便の社員4名が東北から、その思いを伝えます。
「込められた思いもいっしょに、間違いなくお届けする」
<福島>

日本郵便 原町郵便局 課長代理 当時:福島支店 飯曾集配センター
伏見 正広(ふしみ まさひろ)さん
震災を経験し、私たちが配達しているのは、"出す人と受け取る人の気持ちをつなぎ、デジタルにはない温かみを届ける大切なもの"なのだと実感しました。
震災直後の被災地は、携帯電話もインターネットもつながらず、唯一の通信手段が郵便でした。集配を担当していたので、「大変なところありがとう」と、お客さまはとても喜んでくださいました。
震災以降は、出す方の思いもいっしょに届けていると強く感じるようになり、間違いなく最後までしっかりとお届けすることが私たちの使命であり、責務だと認識を深めました。
「自信をもてなかったあのときに気づいたのは、配達し続ける大切さ」
<岩手>

日本郵便 釜石郵便局 主任 当時:陸前高田支店
飯森 恵己(いいもり めぐみ)さん
私も避難所などに配達をしていましたが、「このような状況下で配達していいのだろうか」「ほかにやらなければならないことがもっとあるのでは」と震災直後は仕事に自信がもてませんでした。でも、交通・物流がマヒし、荷物の配送が停止している中、その代わりとして唯一の配送手段である定形外郵便を避難所にお届けしたときは本当に喜んでいただき、私たちは仕事をしていていいんだ、 配達し続けることが大切なんだと認識できました。
長く仮店舗だった陸前高田郵便局は、2022年4月18日に新設移転で開局します。地域に寄り添ったサービスをますますご提供できるようになり、安堵しています。
「毎日の仕事の積み重ねが、災害時、地域の役に立っている」
<宮城>

日本郵便 石巻郵便局 課長 当時:石巻支店 女川集配センター
佐々木 慶太(ささき けいた)さん
配達員は毎日、地道に配達業務を積み重ねることによって、顔を見ただけでどこのどなたかがわかり、お客さまもそれを認識されています。震災後、私が女川の町を歩いていると「〇〇さんはどこに行ったか知ってる?」などと頻繁に声をかけられ、毎日の仕事の積み重ねが、こうした災害時に地域の皆さんの役に立つのだとわかりました。
毎日、それぞれが担当業務を当たり前に行い、そのなかでお客さまと交流していくことが大事だと、改めて考えており、部下にも伝えています。お客さまには、赤いバイクや車を目印に、配達員に気軽に声をかけていただきたいと思っています。
「"郵便局に行ったら何とかなるだろう"の期待に応えたい」
<福島>

日本郵便 小高郵便局 課長代理 当時:鹿島郵便局
門馬 ひとみ(もんま ひとみ)さん
当時勤務していた郵便局には、震災直後、多くのお客さまが来られましたが、皆さん日ごろから郵便局を相談できる場所と思ってくださっており、災害時も「郵便局に行ったら何とかなるだろう」と、心のよりどころ、一番身近な金融機関として頼ってくださっていると感じました。その思いに応えなければ、という一心で対応にあたりました。
震災後に配属された局で、よくお話ししたお客さまは、今の勤務地まで年1回、納税の手続きに遠くから来てくださいます。本当にうれしいです。これからも、お客さまが寄せる信頼にお応えし、安心してご利用いただける郵便局としてお役に立っていきたいです。
動画『東日本大震災から10年 復興への歩み』公開
生活に溶け込み、当たり前に提供するものだった郵便局のサービスは、あの日、突然崩れました。そのとき、私たちが何をし、何を考えたのか。そして、今、どのような思いで歩んでいるのか。皆さんに知っていただきたいと考え、製作した動画はこちらです。
『東日本大震災から10年 復興への歩み』
※本動画には、一部に津波など震災当時の映像が含まれています。
ダイジェストバージョンは こちら
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