アクシデント、年齢、言葉の壁。すべての困難を打ち返していく――。73歳のパラ卓球選手・別所キミヱと日本郵政の「固い絆」(前編)

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卓球が自立を助け、前向きの姿勢を取り戻させてくれた

パラ卓球選手としてロンドン、リオ大会に出場した別所 キミヱ(べっしょ きみえ)さんは、73歳の現在も第一線で現役を続けている。障がいや年齢、果ては言葉の壁というハードルを飛び越えて活躍する姿は、地元の兵庫だけでなく、日本中で多くの人に元気を与えている。精力的に活動する、その源泉とは何か?別所選手と、長年サポートする日本郵政の矢嶋 あやか(やじま あやか)さんに話を聞いた。

別所 キミヱさん。パラ卓球(クラス5)の選手としてアテネ、北京、ロンドン、リオデジャネイロの4大会に連続出場。世界ランク最高位は2017年の3位

東京パラリンピックには出られへんかったけど、今はそれがかえって良かったと思うんです

別所 キミヱさんの口から出たのは、決して負け惜しみではない。東京パラリンピックへの出場は叶わなかったが、大会が延期となったその間に、普段は忙しい名コーチを捕まえて指導を仰いでいたのだ。一般的にはマイナスと捉えられている状況ですら、自分のプラスになるように行動している。

別所さんが車椅子生活になったのは43歳のとき。病気の治療のため、下半身の神経を切断せざるを得ず、下肢全機能障がいとなった。パラ卓球を始めたのは45歳になってからだ。

「車椅子の生活になった当初は、外出するときは家族や友人がクルマで送り迎えしてくれていたんです。あるいはタクシーを使うか。でも、やっぱり気がひけるんやわ。そんなときに出会ったのがパラ卓球で。

もともとママさんバレーをやってたり、スポーツは大好きだったんです。最初はキュロットなんか履いて可愛らしくやっていたんやけど、どんどんおもしろなって......(笑)。自分で動ける自由もほしくて、講習を受けて障がい者用のクルマに乗るようにもなって。そうやって自立できたのは、やっぱり卓球と出会ったからなんやね」(別所さん)

明石西郵便局での勤務経験も

日本郵政株式会社 オリンピック・パラリンピック室 矢嶋 あやかさん

別所さんは、卓球と同時に仕事も手に入れる。それが明石西郵便局のコールセンター勤務だ。日本郵政の矢嶋 あやかさんが説明する。

「2012年、別所さんがロンドンパラリンピックに出場するということで、同じ会社の仲間として応援しようということになりました。当社は2015年に東京オリンピック・パラリンピックのスポンサーとなりましたが、それよりも前に、別所さんのサポートを始めていたんです」(矢嶋さん)

「最初は遊びのつもりでやっていたんやけど、元来負けず嫌いで、どんどんハマってしまって。全日本のベスト4を目標にして練習するようになっていったんです。もちろん、うまくいかないときもあって、卓球をやめたいと思ったこともありました。車椅子マラソンに挑戦してみたこともあったんですが、やっぱり卓球が好きで戻ってきてしまって」(別所さん)

世界中の仲間の存在が、前に進む力を与えてくれる

世界で活躍してきた別所さんには、多くの応援メッセージも届く

別所さんは、日本にとどまらず世界で活躍し、パラリンピック出場を果たす。世界中には互いに認め合う仲間がいて、彼らと会うことが競技のモチベーションにつながっているという。

「関西弁で通じちゃうのよ(笑)。電子辞書を片手にカタコトでもコミュニケーションできちゃうから、言葉の壁なんて感じないわね。対戦相手ともすぐ仲良くなっちゃうし(笑)。日本政府からマスクが送られたとかでスロベニアの選手から感謝されたり、韓国チームの監督からは、他の選手が元気になるからって合宿に呼ばれたこともあったんよ。私が試合に負けても、みんな『キミヱ、ナイス!』なんて声をかけてくれるので、本当に救われたわ」(別所さん)

仲間のことをとにかく楽しそうに話す。障がいを負って不自由を感じることもあったと思うが、そんなことを感じさせることなく、言葉の通じない相手となんなくコミュニケーションをとる。

「みんなライバルなんやけど、お互いにアドバイスし合ったりしてね。スポーツを通しても、いろんな情報を得ることができるのよね。若い人たちにも、ぜひとも世界を経験してほしいと思いますね」(別所さん)

インタビュー動画

後編では、日本郵政による別所さんへのサポートや別所さんの「困難をプラスに変える力」についてお話を伺っていきます。

※撮影時のみマスクを外しています

            

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